2級建築大工技能士
堀米 智志 Horigome Satoshi
資格 2級建築大工技能士

家づくりへの想い

木を知り尽くした大工が辿り着いた理想の形

社寺建築に長年従事していた私が『無添加住宅』との出会いから得たもの。それは「家」の大切さでした。

将来の夢は大工さん

『将来の夢~大工~』。小学校の文集に書いたタイトルです。何がきっかけかは覚えていませんが、物心がついたときから大工になりたいと思っていました。中学卒業と同時に大工への弟子入りを考えていたものの、親の薦めもあって高校も普通科に進学しました。はじめはあまり乗り気でなかった高校生活も、新しい仲間との出会いや地域活動への参加を重ねるごとに、いままでにはない社会環境での生活ができたので、今となってはよかったと思っています。高校卒業後に社寺建設を司る会社へ入社し、大工への道を歩み始めました。

『視て覚える』修行時代

大工といっても、型枠大工・造作大工など、色々な分類があります。私が最初に勤めた会社は社寺建築をメインとしていましたが、新築工事ではなく文化財建築の修復工事が主な仕事でした。そのため、社寺建築だけでなく民家などの修復工事にも従事していました。修復工事では、調査・解体・部材の清掃などを通して数百年前の大工の技術を間近で視て学ぶことができ、最高の勉強の場でしたので、その経験は生涯の宝だと自負しています。ただ、入社当時は、いわゆる師弟関係の強い『視て覚える』修行時代でしたので、掃除・片付、食事の支度が主な仕事でした。それでも、掃除のときは親方の仕事の形跡を盗み見て、片付のときは親方の道具を視て触れる勉強の時間でしたので、私にとってはとても貴重な時間でした。夜になると、親方の食事を作ってから晩酌の相手をすることが日課でした。51歳離れていた親方の話はいつも戦争の話でしたが、時々仕事の話もしてくれたので、そのときは「しめた!」と思いながらメモを取って一字一句漏らさず聞き書きしていました。なので、先輩や親方たちとお酒の場に行くときは、そのときのクセからは、いつもノート持参で参加していました。なかでも『1円でももらったらプロだぞ』と言われた言葉は、今でも胸に焼きついています。

社寺建築から住宅建築へ

結婚を機に、父の住む長野に移住を決めました。移住をしてから何社かの建設会社を経たあと北原工務店に就職しました。それまでは社寺建築しか携わっていなく、住宅建築の経験はほぼゼロに近かったです。ですが、弊社が掲げる「無添加住宅」では合板・新建材、有機溶剤などは使用せず、無垢材・無機質素材だけでしたので、すぐに馴染めました。社寺建築は地域・地元民のための建築、住宅建築は一家族・一族が生涯住み続ける建築。ですので、社寺建築と住宅建築とでは方向性が全く違いますが、目指すものは「快適さ」に変わりありません。しかも化学物質のアレルギーを持つ方々でも、快適に過ごせるために始まった「無添加住宅」はとても奥が深いと感じました。家族みんなの笑顔があつまる場所、それが「家」です。長年大工として建設業に携わるなか、住宅はだれもが必要とする憩いの場であること、だからこそ素材一つ一つを吟味してみんなが快適に過ごせる環境をつくることが大切だと考えています。そして自分自身がそのお手伝いができることの喜びをかみしめながら、皆様の住みよい家づくりに協力できるよう、日々精進して参りたいと思います。

宮下 宏
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丸山 浩由